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2007年10月03日

「【風林火山】ゆかりの地信州松代の歴史文化とまちづくり」

先日の信大工学部にておこなわれた電気関連学会の特別講演に用意したレジュメをご紹介いたします。

「風林火山のゆかりの地信州松代の歴史文化とまちづくり」
     NPO法人 夢空間松代のまちと心を育てる会

1、真田十万石の城下町信州松代

長野市松代町は(長野市約38万人松代約2万人)昭和41年に周辺市町村とともに長野市に合併して周辺部となり、真田十万石の城下町の面影が色濃く残る歴史的文化的遺産を充分に活かすことなく長い間停滞してきた。しかしながら平成16年には松代城が復元整備されたのに合わせて官民一体の観光客誘客キャンペーンが展開され、86万人(前年30万)の観光客が松代を訪れ、全国から注目を集めるようになってきた。住民パワーで復活してきた松代のまちづくりの軌跡をふりかえってみよう。

2、立ち上がったまちづくりグループ

平成5年に、地元の長年の誘致運動が実って中央高速道長野インターが松代地籍に開設されたのを契機に、若者達による人力車の運行や商店のおかみさんによる名産品の開発、文化財ガイドボランテイアなど、住民主体のまちづくり活動が活発化して次第に町が元気になっていった。 こうした住民の盛り上がりを受けて長野市は平成12年、松代地区中心市街地活性化基本計画「信州松代まるごと博物館構想」を策定し、歴史的文化的資源を活かした観光商業振興を中心に30事業を決定した。筆者もこの策定に関わり、この機会を逃したら松代の再生は無いとの思いで、行政任せではなく、住民参加による事業推進を図ろうと有志に呼び掛け、平成13年、呼びかけに賛同した100名で「夢空間松代のまちと心を育てる会」を発足させ1年後にNPO法人の認証を受けた。

はじめに取り組んだのが、「武家屋敷のお庭拝見」である。かつての武家屋敷地域には江戸時代から伝わる泉水(池)のある日本庭園や隣家の泉水につながる泉水路が地域一帯で大事に受け継がれてきていている。普段は開放されていない個人宅のお庭を1日だけ見せていただくこのイベントは大反響を呼び、県内外から300人近い方々が見学に訪れた。町外の方を案内して町を散策をする中で、普段は見慣れて当たり前に思っていた松代の街並みやたたずまい、周りの自然などが、外来の方々にとってはとても魅力があることがわかり、昔から自然と一体化して生活をしてきた松代の良さを地域に住む私達自身が再発見することができた。また、改めて町を見回してみるとお寺も33ケ寺にのぼり、真田家とのゆかりのある由緒あるお寺も多く「お寺拝観」の開催につながっていった。現在松代仏教会の協力で、松代高校美術部に寺めぐりスタンプのデザインを依頼して作製し各寺に配置して寺めぐりの定着化をはかっている。また「町屋・街並み・路地巡り」の継続的開催による街並み調査の結果、松代は江戸時代の町割りがそのまま残っていて町そのものが貴重な文化的遺産であることがわかってきた。そこで武家屋敷だけでなく「町屋」の保存活用を図る必要性を市に提言し、平成14年より国土交通省の「街並み環境整備事業」の松代への導入が実現した。現在、武家屋敷や町屋などを保存活用していく為に国の登録文化財として登録を進める運動に取り組んでいる。こうして町内各地の散策会や学習会を定期的に開催して多くの参加者が集い、松代の歴史的文化的遺産のすごさに驚き「発展から取り残されたさびれた町」との思いから、「自然と共生し歴史的文化的遺産を大切に護り育ててきた松代」へと、自信と誇りを持って町外の人々に「松代はすばらしいよ」と発信できる人々が増えていった。

 こうして、住民による様々なまちづくり活動が頻繁にマスコミで報道されていくと「せっかく資源があるのに活かされていない、合併してだめになった松代」とレッテルをはっていた長野県内の人々も「このごろ松代頑張っているね」と松代の住民パワーを高く評価するようになっていった。

3、行政と協働して遊学城下町まつしろへ

住民の活発なまちづくり活動に呼応して平成13年に民間経営者から市長になった現鷲澤市長が松代に着目。歴史的文化的遺産を活かして松代を全国ブランドの観光地に押し上げるために国史跡松代城の整備復元が完成した平成16年を松代イヤーとして全国に発信しようと計画。平成14年11月に観光課松代分室を松代支所に開設して職員を配置し、専門家の応援を得てまちづくりに取り組んでいる人々と市が協働して松代観光戦略準備会で戦略を練りあげた。全国の生涯学習に取り組んでいる人々が松代を舞台に歴史的文化財を使って学ぶ生涯学習交流のメッカとして全国から誘客しようというコンセプトのもとに「エコール・ド・まつしろ」「遊学城下町まつしろ」のキャッチフレーズが打ち立てられた。1年間の準備期間を経て平成16年4月の松代城復元春祭りの開幕に併せて、地元住民による観光客おもてなし世話役組識「エコール・ド・まつしろ倶楽部」が立ち上がり、住民による松代のファンづくり活動が本格的に動き出していった。

松代はもともと、趣味や嗜みごとなど、文化活動が非常に活発な地域である。今までは自分達の楽しみとしての活動であったが、その活動を活かして、同じ趣味で松代を訪れる遊学客のお世話をして交流を深める活動が様々な形で活発化してきた。現在町内外の約1000人が倶楽部員登録し約60の専科がおもてなし活動に参加している。写真、絵画、茶道、華道、俳句などをはじめ、佐久間象山や松井須磨子など松代出身の先人を研究し語る語りべや、太平洋戦争末期の大本営地下壕跡案内、特産長芋堀り体験を企画する専科など、あらゆる分野の活動が生まれてきた。平成16年10月には松代地域住民自治振興会が結成された。

夢空間では町を歩いて楽しめるルート開発に取り組み地区別テーマ別散策18コースを開発し「信州松代夢空間めぐり」(A3カラー写真入80ページ)と、まちめぐりシリーズ「ゆったり古寺巡礼」「ぶらり城下武家門」「のんびり町屋・街並み」(A5白黒写真入り50~80ページ三部作)にまとめて出版した。開発したコースを実際に歩いてめぐる散策会を開催し、まちめぐりガイドセンターの開設・ガイドの育成を目指し、まちめぐりを活発化させて町の活性化にむけて取り組んでいる。

4、次代を担う子ども達に

平成15年より3月3日4月3日まで信州の月遅れの習慣に合わせて「松代でひなまつり」が行われるようになった。真田邸や文武学校などの史跡では、江戸時代の物や町内から寄贈されたおひな様を飾り、商店街でも約80軒が参加して店内に代々伝わるのおひな様や保育園児、小学生が作った紙粘土や折り紙による雛人形を飾り、町をあげてひな祭りが行われている。期間中、着物を着て、おひな様の飾ってある商店街をめぐる町歩き会も開催されてまちなかににぎわいをもたらした。平成17年からは長野電鉄沿線、松代・須坂・小布施・中野・山の内を結んだ「北信濃ひな巡り」も開催されて各地のまちづくりに関わる人々のネットワークづくりも活発化してきた。

真田十万石の城下町松代の良さを住民自らが再発見することからはじまった松代のまちづくりも、行政の後押しを得て明確なコンセプトを確立し、全国に通じる松代ブランド確立にむけて歩み始めた。その後、映画で硫黄島の戦いの最高司令官、栗林忠道中将(松代出身)や風林火山で松代が注目されて追い風が吹いてきた。一過性の観光に終わらせることなく、次代を担う子ども達が松代に生れたことを誇りに思えるような、住んで暮しやすい訪れて心憩えるまちづくりへむけて、住民が不断の努力を積み上げていった時にはじめて松代が全国に輝く星となるであろう。


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Posted by 信州松代夢空間 at 09:00│Comments(0)
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